田中とおる プロフィール
はじめに
俳優として人の人生に向き合い、
ITやものづくりの現場で人の仕事を支え、
交通事故による長いリハビリと、
シングルファーザーとしての子育てを経験してきました。
人生のさまざまな局面で、
立場が変わるたびに見える景色が変わり、
同じ制度や仕組みであっても、
受け取り方や意味が大きく変わることを、
当事者として実感してきました。
子どもが笑顔でいられるまちは、
きっと、すべての人にやさしいまちになる。
そのためには、
声の大きさではなく、
現場の実感から制度を見つめ直すことが必要だと考えています。
これまでの経験で培ってきた視点を、
今度は制度をつくる側として生かしたい。
その思いを胸に、
日進の未来に向き合っています。
人となり・大切にしている考え方
俳優としての舞台や映像の現場経験では、
人の感情や立場に想像力を向け続けることが求められます。
役を通して他者の人生を生きる中で、
「この人は、なぜそう振る舞うのか」
「どこに無理が生じているのか」
を考える視点が、自然と身についていきました。
37歳で交通事故に遭い、
長いリハビリ生活を送る中で、
今度は自分自身が、
支えられる側の立場を経験することになりました。
身体が思うように動かない日々の中で、
制度や仕組みは、
使う人の立場や状況によって、まったく違う意味を持つ
という現実を、身をもって知りました。
その後、シングルファーザーとして子育てをする中で、
同じ制度であっても、
家庭環境や生活状況によって
受け取り方や使いやすさが大きく変わることを、
あらためて実感しました。
ITの仕事についても私の基準は変わっていません。
ITは効率化のためだけの道具ではなく、
人を支えるものであるべきだという考えです。
人の立場を想像し、
目立たない声や小さな困りごとを見過ごさない姿勢を、
いまは政治の場で大切にしています。
人生と仕事の歩み
表現の世界で学んだこと
NHK「中学生日記」をきっかけにテレビの世界へ入り、
地元で俳優・タレントとして活動しました。
朝のテレビ番組「コケコッコー体操」のお兄さんや、
TBS系列全国ネット連続ドラマへの出演など、
人前に立つ仕事を通じて、人の心に寄り添うことを学びました。
24歳で上京し、劇団俳優座に所属。
舞台・映画・テレビを中心に活動する一方で、
ギタリスト・ボーカリストとしての音楽活動も行い、
表現の手段を複数持つことで、
「伝えること」の奥行きを深く考えるようになりました。
ITと、音楽・ものづくりの現場へ
30歳でIT関係事業を起業し、
企業間ネットワークの構築や大規模データベース設計など、
現場を支えるIT業務を数多く手がけました。
同時に、音楽制作の分野にも事業を広げ、
放送局・劇団・歌手の音源制作を行いました。
これらの仕事はいずれも、
人の表現や仕事を支える裏方の仕事です。
事故と、人生を見つめ直した時間
37歳の冬、停車中に後続車に追突され、
半年以上の寝たきり生活を余儀なくされました。
その後も、約10年にわたるリハビリ生活が続きました。
日常の動作一つひとつに時間がかかり、
通院や治療を続けなければ、
生活そのものが成り立たない状態が続きました。
地方での暮らしと、子育ての現場
東京での20年の生活の後、
鹿児島県出水市で4年間暮らしました。
大自然の中で、
シングルファーザーとして子育てをしながら、
東京とのリモートワークで仕事を続け、
地域振興や教育支援にも参加しました。
ものづくりの原点としての「海賊船」
私の原点の一つに、
子どもの自主性を育てる自由工房海賊船があります。
創立の第一期生として通い始めてから、後年は理事長も務め、
現在は理事として活動を支えています。
「教えられる」のではなく、
「自分で考える力を信じる」。
この理念は、
私の活動の根幹となっています。
日進での地域との関わり
日進へ帰郷後は、
音楽・演劇スタジオを主宰し、
子どもや若者の表現活動を支えてきました。
自治会長、防犯・防災活動、
移動支援、子育て支援、敬老ボランティアなど、
地域の現場に足を運んできました。
議員を志した理由
俳優、IT、事故、子育て。
それぞれの立場を経験する中で、
制度を「使う側」ではなく、
「つくる側」に立つ必要を感じるようになりました。
誰も取り残されないまちを、
当事者の視点と現場の声からつくっていく。
その思いで、日進市議会で活動しています。
パーソナルデータ
- 生年月日 1968年4月9日
- 日進南小学校 卒業
- 日進中学校 卒業
- 昭和高校 卒業
- 愛知大学 卒業(法学)
- 宅地建物取引士
- 防災ボランティアコーディネーター